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親の死というのは大きいです [◆雑記]


ここしばらく家族の不幸でブログを中断しておりました。
精神的にも肉体的にもだいぶ落ち着いてきましたので、
ここで自分の気持ちを整理しておこうと思い、
これまでのことを綴ってみようと思います。

自分語りの長文ですので、スルーしていただいて構いません。




父親というのは息子にとっては偉大な存在。
特にうちの父は真面目で厳しく、努力家で勉強家。
それゆえに権威ある地位まで上り詰め、
定年退職したこれからが余生の楽しみだったと思います。
そうあって欲しかった。

死因は肝臓癌。
C型肝炎からの発症です。
この数年間、自ら注射を打ちながらの自宅治療を続け、
昨年は検査入院を繰り返して体に気をつけていました。
しかし癌の発生を確認し、今年の1月にその摘出手術を行ないました。
これで晴れ晴れと過ごせると思いきや、術後の経過が芳しくありませんでした。

術後は自宅へ戻ってきていましたが、2月初頭に緊急入院。
数日で帰れると聞いていたのであまり大ごとには捉えていませんでした。

忘れもしない2/14の雪の日、母からの電話。
「お父さん、余命1ヶ月だって」
自分の前では泣かない母も、この時ばかりは泣き声まじりでした。
それを私から妹へ伝える際、なぜか「余命」という単語がなかなか発せられませんでした。
絞り出すように伝えると、電話の向こうで妹も泣き声に変わり、
家族全体が大きな悲しみに襲われた瞬間となりました。
寒さは残酷です。落ち込む気持ちをさらに増幅させられましたから。

これまでも1時間ほどかけて都内の病院に毎日通っていた母。
治ると信じて60歳を越える体で電車で通うのは並々ならぬ気力。
しかし余命を告げられた14日、
何か糸が切れたように、次の日の見舞いを妹に託していました。
母の体も心配でしたが、そのサポートは妹がしてくれていました。
自分は見舞いに顔を出しながら2人を元気づける役回り。

15日、仕事の合間に見舞いに行くと、来ないと言っていた母の姿がありました。
「今までは行かなくちゃという気持ちだったけれど、今は来てあげたいのよね」
一緒にいられる時間があまり無いこともあって、できるだけ側にいてあげたいのでしょう。
同じ家族でも、夫婦の絆は子どもには到底すべてを理解できません。
母の体も心配ですが、やりたいようにさせてあげようと兄妹で決めました。

このときの父は、まだ会話はでき、自分で体勢を変えられるものの、
どんな姿勢をとっても気持ち悪さが取れないという状態。
頑張って手術をしても苦しむ日々が待っていようとはあまりにも残酷。
母は冷静に対応しつつも、父のいないところでは可哀想だと嘆いていました。

余命を告げられて1週間。
2/20は薬が効いているのか、以前よりも穏やかな様子。
しかしほとんど話すことができません。
寝ているようで、意識はあるといった感じでした。
2/21は前日と打って変わって、まるでいびきをかいて寝ているかのような状態へ。
素人目からも長くはないと感じさせられる状態です。
医師からは、おそらく2、3日中には・・・ということでした。
どこが余命1ヶ月なのかと。
しかしここまでくると、命の長短の見当は難しいことも分かっていました。
夫婦の勘なのか、その日、母は病室に泊まることに。

余命を告げられたあの日から、自分はいざという時のことを考えて、
連絡すべき人のリストアップや、葬儀屋との話を進めていました。
臨終後に母が通常の状態でいられるかはわかりません。
なのでその時がきたらすべて自分が動くと決めていました。
21日はそうしたすべての準備が整った日だったんです。
さらに、なぜかいつもよりもかなり早くに眠くなったので早々に就寝しました。

22日の早朝、母からの電話で目覚めました。
「お父さん、死んじゃった・・・」
一瞬、言葉に詰まったものの、
「そうか、すぐ行くから待ってて」
とだけ言い、まとめていた荷物を持って駆けつけました。
病室には母と妹がおり、特に泣き顔ではなく、来るべき日が来たねという雰囲気。
おそらく自分が来る前に妹と一緒に号泣していたのだと思う。

これまで病状の悪化を段階的に聞かされるたびに、
少しずつ神経を削らされてきたこともあって、家族全員がこの時点ですでに疲労困憊。
父の死は悲しいものの、その状態からは解き放たれたという気持ちもありました。
まるで寝ているだけにしか見えない父が、霊安室へ運ばれる。
寒くて気持ちが滅入ると聞いていたものの、さほどそういう感じはありませんでした。

1人ずつ線香をあげる際に、
「お父さん、頑張ったねえ」
と、涙ながらに母がこぼした瞬間、自分も危うく涙しそうでした。
自分なんかよりも人望があって立派な父。
まだ60代。
これまで頑張ってきた姿を見てきていると、
あと10年、20年は自分の好きなように余生を楽しんでも罰なんて当たらないような人です。
昔からファンも多く、この歳になっても人を惹き付ける魅力を持っていました。
そんな人間が老衰ではなく病死かよと、やるせない気持ちでいっぱいです。
しかしここで自分が泣き崩れては父に叱られる、
むしろここからが私の出番だと、そう戒めて涙は耐えました。

すでに連絡していた葬儀屋から寝台車が到着し、母妹を同乗させて自宅へ。
私は電車で向かうことに。
父母はすでに生前墓を作っていたこともあり、霊園と葬儀屋へ連絡。
前もって話をしていたのでスムーズに取り次ぐことはできたものの、
斎場が押さえられないという話になり、葬儀は一週間後と言われました。
「この時期は葬儀が多いんですよ」の言葉に、
多い少ないの時期なんてあるのかとツッコミを入れつつ、
霊園からの案で、隣接する寺を開放してもらえることになりました。
これで24日に通夜、25日に告別式という早いスケジュールに。

その日は妹と手分けしての電話連絡。
顔の広い父だったので、かなりの数。
先にリストアップしていたのは正解でした。

23日は一日だけゆったりと、帰ってきた父と過ごすことになるものの、
部屋にたたずむ父の遺体を見るのが辛いのか、
母は通夜までどこかに預けられないかとこぼし始めました。
なんとかして安置所を押さえられたものの、
翌日になると可哀想だから自宅に置いておきたいという考えに変わっており、
預ける件はキャンセルしたりと、バタバタとした日になりました。
母のしたいようにさせてあげるのも役目。

その日は通夜の規模や葬儀一式における見積もり交渉。
食事周りは別の担当者と、とにかく決め事の多かった日となりました。
喪主は自分。
これまで頑張ってきた母には少しでも休んでもらいたいですから。

24日、通夜。
連絡してから2日しか経っていないにも関わらず、
多くの弔問者に見送ってもらいました。
また予想外にも私の友人や会社の方もかけつけてくれて、
そのときは嬉しさで涙が溢れそうになったことを覚えています。
ですが涙は目の中にとどめ、流さないように堪える。
礼儀ごとには厳しい父だったので、
こうした式はきっちりとこなすべきだと言われかねません。
生前は病に苦しみながらも最後まで私の前では泣き言を言わなかった父。
ならば私がしっかりしなくては父の恥になると耐えることにしました。

25日、告別式。
前日に来られなかった方の弔問もあり、改めて父の顔の広さを痛感します。
その後、喪主のあいさつ、位牌や写真を持って霊柩車で火葬場へ向かうという流れ。
TVでは見かけていた光景が、まさか自分にもやって来るとは思ってもいませんでした。

家族と親戚の数人で火葬場に向かい、骨だけになる父の姿。
既に祖父母で経験していたことが幸いしてか、それほどショックではありませんでした。
むしろ病気の体から解放されて、身軽になってあの世で楽しげに過ごす父を思い浮かべると、
晴れやかな気持ちもあったなと。
奇しくもこの日は春の暖かさ。
住職さんの導きで、迷わず成仏してくれていると良いなという気持ちでした。
ちなみに、箸で骨をつまんで壺に収骨するのは、何かの形で経験しておくのが良いと思います。
いきなり近しい家族では、ダメージは相当大きいはずですから。

そうしてすべての式が夕方には完了。
父の死を見届けてからの4日間は、あっという間でした。
むしろこの早いスケジュールは望んでいた形でもあります。
葬儀まで日にちを空ければ、それだけモヤモヤとした日を過ごすだけですから。

親戚のフォローにも助けられ、滞りなく済んだ葬儀。
その日にいったん都内の自宅へ戻り、次なる準備を整えて翌日に実家へ。

外側から見れば、通夜と告別式で終了のように見えますが、
人が1人亡くなる、それが一家の大黒柱ともなると、その後の手続きが膨大です。
役所手続き、名義変更、様々な相続の書類提出が待ってます。
今はその真っ最中。

戸籍等、父親の書類も必要ですが、私自身の書類も必要になってくるため、
しばらくは自宅と実家を行き来することになりそうです。
しかし山は越えたところもあるので、
これまでよりも自分の時間が取れるぐらいには生活サイクルが戻ってきました。

生前の看病で精神的に疲れ、疲労困憊のところへ葬儀で肉体的にも疲れ、
その後の書類で頭が疲れる。
ただ、打ち合わせや見積もり相談、書類の作成等は仕事で慣れていることもあって、
このあたりは別バージョンのようにこなす感じなので、
そういうことに慣れている自分が適任だったなと今にして思えます。
父母への心のケアはやはり女性のほうが上手いので妹の存在は大きかったです。

入院中の病状の変化を聞かされるたびに精神ダメージを受け、
食事が喉を通らないこともあった時に比べると、今はだいぶ気持ちは楽になりました。
あのときは好きな番組を見ていても心ここにあらず。ゲームなんてしたいとも思わない。
仕事もなかなか集中できず。
大丈夫だと思っていても、どうにもコントロールできない気持ちもあるんだと知りました。
かといって誰かに話を聞いてもらっても、こればかりは家族以外では気持ちは通じません。
今にして思えば、亡くなると分かってからの日々が本当に辛かったです。

余談ですがブログ記事の作成とコメントへのレスだけは気持ちを切り替えることができ、
それなりに明るく振る舞えていたと思います。
そういう場所があっただけでも、ブログを続けていて良かったと思えました。

家族の死はもとより、看病疲れや葬儀の忙しさなども、
経験してみて初めて分かるものだと思えました。
これはどんなに上手く説明しようとも伝えられない。
なのでみなさんにその事を分かってほしくて綴ったわけではなく、
あくまでも私的な経験談として残して置くつもりで書きました。
それでも最後まで読んでいただいた方がいれば、ありがたく思います。

両親が健在な方にとっては、心のどこかで
「親とは亡くならない、そこに居て当然」のような気持ちがあると思います。
私もそうでした。
しかしいつかは必ず誰にでもやってくることです。
そのときは、第1子の方は家族をリードしてあげてください。
兄姉がいる方はサポートしてあげてください。
家族一丸となる姿が、亡くなった方への手向けでもあると思います。



以上、葬儀の件はここまでとし、
今後はこれまでどおり記事を書いていきます。



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pi

1/14 に同じく父を亡くしました。こちらは特発性肺炎という病名。
肺炎なんてひどい風邪程度にしか思っていませんでしたが、まさか父がそれで死ぬとは・・・・って感じでした。
おつらいとは思いますが、がんばってくださいね。
by pi (2011-03-02 13:26) 

かし

うまく言葉が見つかりませんが、カルディアさん、お疲れ様

お父様もご家族皆様の行動を見守ってくれていると思います

>「親とは亡くならない、そこに居て当然」

まさしくその気持ちでいます、今も。私の両親もともに60代。いつかは来る「別れ」を現実として受け止めていかなくてはならない。辛いものですが…

しかし、そういった環境の中でも素敵な記事やコメントを戴いていたかと思うとカルディアさんには「ありがとう」という気持ちです

大きなハードルだとは思いますが、今後とも楽しい記事の更新を期待しています

なんせ私が『けいおん! ライブイベント「レッツゴー!」』のブルーレイを買うきっかけを作ってくれたのはカルディアさんの記事だったんだからね!

しかも「けいおん!!」ライブイベント ~Come with Me!!~まで見に行く位影響を与えてくれたんだからね!

だから最後に一言、「おかえり!またよろしく!」



by かし (2011-03-02 13:37) 

takao

自分の父を亡くした時のことを思い出しました。
うちの父は,漁師だったのですが潜水病である日ぽっくり逝ってしまって。
70くらいまで生きる,と言っていたのであまりに早すぎる最後に,ただただ不思議な感じ。
単身赴任していたのですが,最後にあった時「母を頼む」と言われていましたし,長兄として支えることしかできなかったですね。
こちらは準備できなかった分ばたばたになってしまいましたが。
死体を飛行機で運ぶ時は,貨物扱いになるんだなぁ,と思ったりしつつ。
家族全員が泣き崩れてしまったので,自分だけは泣けない,と思った記憶があります。

私のところの場合は,急死だったので連絡はできませんでしたが大勢の人が新聞のお悔やみ欄を見て来て下さったことは今でも忘れませぬ。
母を愛していた父だけに,一体最後の瞬間何を思ったのか,とか,さぞ心残りがあったろうなぁ,と思うと何とも。

>箸で骨をつまんで壺に収骨するのは、何かの形で経験しておくのが良いと思います。

これ,私の場合ははじめてが父だったんですよね。
私の場合は,石垣りんさんの詩「鬼の食事」を思いだしたりしたのですが。
この辺も,喪主として気を張っていたのが良かったのかも知れません。

すみません。自分語りが長くなってしまいました。
カルディアさんの記事を読んでいると,自分の経験とかぶってしまいました。
私は葬式は生者のためにある,と言いますが本当にそうだなぁ,と感じた記憶があります。
死者を弔い,そして自分たちが明日を生きていくための転換点,と言えば良いのか。
まだまだおつらいと思いますが,自分が元気に生きていくことが,何よりの弔いかなぁ,何て思います。
いつものカルディアさんの調子が戻ってこられるのを,お待ちしております。
すみません,うまく表現できずに。
どんな言葉を使えば良いのか。難しいものですね。
by takao (2011-03-02 19:15) 

aoi

ご冥福をお祈りいたします。
by aoi (2011-03-02 21:05) 

つるぎうお

私も最近、一番好きだった叔父さんを亡くしていますので、大変だったことは分かりますです。
ご冥福をお祈りいたします。
by つるぎうお (2011-03-02 23:18) 

ALONSO

何と言えば良いのかわからない部分もありますが…お父様の御冥福をお祈りいたします。

僕の両親はまだ健在だけど4年前に祖父が亡くなりました。パーキンソン病を患っていてその合併症で肺を悪くしたのが亡くなった原因でした。

母から知らせを受けたのが朝だったのですが、その時は「そうか…」としか言えずに仕事へ行きました(母からも仕事へ行くように言われたもので…)。

翌朝は目を覚ますのがつらかったよ。何しろ祖父とは子供の頃、両親よりも一緒に過ごす時間が長かったですから。一緒に散歩へ出かけた事もよく覚えているし。

しばらくは(表面には出さなかったけど)冷静ではいられなかったし、僕の髪の毛に白いものが混じったりという事がありました(現在はそういう事は無いのですが)。

今はただただ日常が過ぎて行くけどあの日の事は忘れない。忘れちゃいけないんだ。

長文になってしまい申し訳ありません。カルディアさんも調子が戻るまで無理はなさらないでくださいね。
by ALONSO (2011-03-03 00:39) 

カルディア

piさん>
コメントありがとうございます。

お父様のご冥福をお祈りいたします。
親が亡くなるってのはほんと辛いですよね。
今は、病床の苦しみから解き放たれたんだと思うようにしています。

by カルディア (2011-03-03 01:15) 

カルディア

かしさん>
コメントありがとうございます。

生きているうちは亡くなる存在だってことは現実味を帯びないですよね。
いつか来るとは思いつつも、その時にならないとなかなか認識できないものだなと。
独り暮らしが長いのであまり会えず、
日常では見かけないのが当たり前な状態でしたが、
それでも何かポッカリと穴が空いた気分です。

>そういった環境の中でも素敵な記事やコメントを
こちらこそありがとうございます。
ブログは集中できるので一瞬でも気持ちを切り替えられる場所でした。

by カルディア (2011-03-03 01:15) 

カルディア

takaoさん>
コメントありがとうございます。

takaoさんのお父様はすでに他界されていましたか。
病気での長期看病も辛いですが、
急死だと色々なものがすぐに認識できなくてそれも辛いものだと思います。
やはり長兄だと泣けませんよね。
残った者を守らなくてはという気持ちなのかな。

>葬式は生者のためにある,と言いますが
死を認識させて、召された者の分を生き抜こうと決意する感じですね。
改めて自分は死ねない、こんな悲しみを家族にもう味わわせたくない、って思いましたよ。

また、忙しさで悲しさを忘れさせるものとは言われていますが、
やってみて、こんなに忙しくさせる仕組みは古いだろとも感じました。
昔よりはだいぶ楽にはなっているとは思いますけどねぇ。

言葉を選んで書いて頂いてありがとうございます。
今は気分的にだいぶ落ち着いてきています。
むしろ病床の父を見ていた頃がかなり辛かったので。
これからはいつも通りにいきます。

by カルディア (2011-03-03 01:15) 

カルディア

aoiさん>
ありがとうございます。

by カルディア (2011-03-03 01:16) 

カルディア

つるぎうおさん>
コメントありがとうございます。
近親者の死は辛いですよね。

by カルディア (2011-03-03 01:16) 

カルディア

ALONSOさん>
コメントありがとうございます。

>両親よりも一緒に過ごす時間が長かった
生活の中で近しい人間が亡くなるのは辛いですよね。
自分の祖父母は4人ともその葬儀を経験していますが、
1年に1度会う程度だったこともあって、それほど大きな悲しみではなかったんです。
そのときと同じように冷静にいられるかと思ったものの、
やはり親はダメージが違いますね。

今は時間が悲しみを和らげてくれるものだと思っています。
むしろ母のほうが心配かな。

私は大丈夫です。
実家に帰ったりと忙しい日々は続きますが、
今は生活サイクルを戻すようにしているところです。

by カルディア (2011-03-03 01:23) 

あいか5drr

辛いですね。
大丈夫ですか。

ご冥福をお祈り致します。

by あいか5drr (2011-03-03 03:24) 

ガッツ

こんばんは。
なんと言ったらよいのか・・・。
今はただご冥福をお祈りします。

すみません。
何かメッセージというか書こうとしたのですが、何を書いてもただ言葉を並べただけに感じてしまって・・・。
うまく形にできませんでした。

繰り返しになってしまいますが
ご冥福をお祈りします。
カルディアさんも無理はなさらぬよう気を付けてください。
by ガッツ (2011-03-03 03:35) 

Gomarz

謹んでご尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。
色々と忙しく動いていらっしゃったカルディアさん
落ち着いたら、どうかご自愛くださいませ。




by Gomarz (2011-03-03 03:57) 

bapio

少し前、ウチの母親も手術しました。
『手術する』と言うだけで不安でいっぱい。
手術が終わっても不安でいっぱい。
術後、経過も良好でも不安は頭から離れませんでした。

私も親が亡くなった時に果たして涙をこらえられるだろうか?
そんな事も考えてましたね。

お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
カルディアさんもお体にお気をつけて。
by bapio (2011-03-03 06:55) 

GOREN

カルディアさんおはようございます。お久しぶりですね。

ツイートでおっしゃってたのはこの事でしたか・・・

ご冥福をお祈りします。そしてお疲れ様でした。

ネコも父を7年前に亡くしました。突然死だったので、受ける衝撃がまた違った感じですけども
by GOREN (2011-03-03 07:20) 

mana

お父様のご冥福をお祈りします。
カルディアさんもお疲れ様でした。

私は両親ともに健在なのですが・・・色々考えさせられますね。

by mana (2011-03-03 13:05) 

コゼット

ご冥福をお祈り申し上げます。

避けては通れない、いつかは誰もが通る道ですからね、改めて考えされました。


by コゼット (2011-03-03 23:29) 

カルディア

あいか5drrさん>
コメントありがとうございます。

辛さは今一段落しています。
悲しみはこれからジワジワやってくるんじゃないかと思っています。

by カルディア (2011-03-03 23:59) 

カルディア

ガッツさん>
コメントありがとうございます。

こちらこそすみません。
こういう状況でしたので、色々予定を決められなかったところがあったんです。
今はもう大丈夫です。ご心配おかけしました。

ひとまずは、やるべきことの山は越えたと思っているので、
精神的にはだいぶ落ち着いた状態。
生活サイクルを以前のように戻そうとしているところです。

by カルディア (2011-03-03 23:59) 

カルディア

Gomarzさん>
コメントありがとうございます。

お心遣いありがとうございます。
立ち回ってわかる忙しさでした。
家族を思えば疲れを感じませんでしたが、
ようやく今、少し体と精神を休める状態になったかなと。

by カルディア (2011-03-03 23:59) 

カルディア

bapioさん>
コメントありがとうございます。

大きな手術は心配ですよね。
こちらも病巣摘出の際は家族全員で5、6時間待機して
落ち着かなかったことを思い出します。

お母様の術後の経過が良好でなによりです。
自分は今回の一件で大泣きするタイミングがなかったので、
どこかで吐き出さないとな~とは思っています。
なので泣けるときに泣いちゃったほうがいいですよ。
ご健在のうちは、たくさん会話することが一番の孝行だな~と思っています。

by カルディア (2011-03-03 23:59) 

カルディア

GORENさん>
コメントありがとうございます。

ネコさんがお父さんを亡くされたと言ってましたよね。
7年前でしたか・・・
別れというのは時間で癒していくしかないものですね。

by カルディア (2011-03-04 00:00) 

カルディア

manaさん>
コメントありがとうございます。

お心遣いありがとうございます。
今回の件で自分のほうに家族があれば、
まだ精神的な助けになっただろうなと感じました。
そういう面では、manaさんは家族を持っているので、
いざというときの助けになると思えますよ。

by カルディア (2011-03-04 00:00) 

カルディア

コゼットさん>
コメントありがとうございます。

お心遣いありがとうございます。
本人を思うと、これからだろうなと思えて悔しさがあります。
せめてあと10年はと思いつつも、遅かれ早かれやってくるんですよね。

by カルディア (2011-03-04 00:07) 

ふもっ!?

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげます。
私も数年前に父を肝臓癌で亡くしまして、そのときのことを思い出しました。
>家族一丸となる姿が、亡くなった方への手向けでもあると思います。
本当にその通りだと思います。
by ふもっ!? (2011-03-04 00:35) 

たなけん(裏)

カルディア様

まず、お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
また、カルディア様もお疲れ様でした。

カルディア様のお気持ちは、文面からヒシヒシと伝わってきます。
小生は医療関係者でございまして、また、私も4年前に父を咽頭癌で亡くしております。

しかし「父は息子の幸せを願うもの」と吹っ切り、日々業務をこなしております。カルディア様のお父上も、カルディア様の幸せを願っているはずです。

これからも前向きに頑張って下さい。

by たなけん(裏) (2011-03-04 03:02) 

凪

> 「親とは亡くならない、そこに居て当然」
本当にそうだなぁと思いました。私の両親は幸い健在ですけれど,同じ年代でもあり,我が身の出来事のように拝読させていただきました。

何と申し上げて良いのか解らない自分が歯痒くて仕方ありませんけれど,今はただ,お父様のご冥福をお祈り申し上げるばかりです。

by (2011-03-05 00:17) 

ロック

お父様のご冥福をお祈りいたします。
このような時に、掛ける言葉がなかなか見つからない
というのは自分の力の無さを感じてしまうモノですが、
記事に色々感じることがありました。

私の父も4年ほど前に大きな手術をして以降、
なんども手術、入退院を繰り返しており(4年前は本当に危なかった)
なんとか難病を克服・・・という段階まで来ましたが、
その間何度も辛い思いをしました。

独りぼっちになってしまうかもしれない感じ、といいますか、
カルディアさんも書かれてますが、やはり親の存在は大きい、
と正直に感じました。
金銭的には既に十二分に生活できる状態ではありますが、
精神的にはまだまだ大きな存在である、と言えそうです。

また、私も長男なのですが、逆にこの記事を読んで・・・
「私もしっかりしないと!」という勇気も与えてくれました。

blogやTL(昨日1つありましたが)でも、
カルディアさんのお元気な姿を見せてくださいね。

by ロック (2011-03-05 11:28) 

いっぷく

私は37年前に父を亡くしました。
お通夜の時は夢中だったけど
火葬する時に、悲しみが一気に湧き出てきたのを覚えています。
以来、こんにちまで父を亡くした喪失感に苛まれています。
どんな親でも親は親なんで、親って絶対ですからね。
生涯引きずるのかもしれませんね。

早くに父を亡くしたので、同じ目には2度と合いたくないと思い
以来、母の健康には自分のこと以上に気を使ってきました。
おかげさまで、母は80過ぎても健在なんですが
両親が健康で健在な人は羨ましいなあ
自分もそうだったら人生もうちょっと楽しかったろうなあ
なんて思うこともありますけど、現実は現実ですから仕方ありません。

お母さんを大事にしてあげて下さいね。
by いっぷく (2011-03-05 11:38) 

カルディア

ふもっ!?さん>
コメントありがとうございます。

癌は辛いですよね。見ているほうも辛かったです。
今生の別れの悲しみは、時間で癒やしていくしかないですよね。

by カルディア (2011-03-05 15:05) 

カルディア

たなけん(裏)さん>
コメントありがとうございます。

>「父は息子の幸せを願うもの」
父が生きている間にそれをしっかり見せられなかった気がして
心残りもあります。
ただ、吹っ切るしかないんですよね。

by カルディア (2011-03-05 15:05) 

カルディア

凪さん>
コメントありがとうございます。

ご健在の間はなるべくたくさん会話を交わしておくのが
いざとなったときに自分にとっても良いことだと思いました。

親との別れはどのような形でやってくるかは人それぞれなので
悔いの残らないようにしておきたいものですね。
お心遣いありがとうございます。

by カルディア (2011-03-05 15:06) 

カルディア

ロックさん>
コメントありがとうございます。

お心遣いありがとうございます。
入退院を繰り返している状態は家族にとっても見ていて気分が落ち着かないものですよね。
とはいえ、生前はそれでも死を連想することはなかったんです。
なんというか、真正面から父が亡くなることを考えられなかったというか。
ですからもういないと考えると、不思議なものです。

親の存在は大きいですね。
何があってもそこに帰る場所があるというのはありがたいことですし、
何事にも代えられないと思います。

久しくツイッターの存在を忘れていたので、少しずつ復活していこうかなと。
blogのほうはもういつもどおりのテンションで大丈夫です。

by カルディア (2011-03-05 15:07) 

カルディア

いっぷくさん>
コメントありがとうございます。

生まれたときから側にいた人が、自分の目の前で亡くなるというのは
なんとも言い難い気分です。
生命としては当然な順列とはいえ、
やっぱりいつまでも生きていてくれているものだという意識が強いものです。

今は母のほうが心配なので、
これまでよりも帰省回数を増やして顔を見せてあげたいと思っています。
うちの母も80過ぎまで生きてほしいなぁ。

by カルディア (2011-03-05 15:07) 

リザブ

祖父が亡くなるとき
自分の父は泣いていました
普段はわけもわからないことを言い出しますし、
何を考えてるのかよく分かりませんでした

しかし祖父を見送るとき
普段では見せるようのないような顔をしていました
これが人の“死”というものだと、実感しました


お父様もカルディアさんに見送られて、
さぞ嬉しかったと思います
ご冥福をお祈りいたします
by リザブ (2011-03-05 20:32) 

カルディア

リザブさん>
コメントありがとうございます。

親の死は想像しているよりも相当のダメージがあるので、
お父様の涙はすごくわかります。

血縁関係って、太くて安心感があるもので、
その1つを失うことは悲しいという言葉だけでは表せない、
様々な感情が入り乱れての涙が出るものだなと。
やはり親という存在は大きいですね。

by カルディア (2011-03-07 22:47) 

opas10

先の記事で、家族の不幸、という文字を見た時にもしや、と思って気になっていたのですが、すっかり来訪が遅れてしまいました。自分の父親は、入院してから2週間、白血病であっという間に亡くなってしまいました。実家とは離れて生活しているため、自分は週末くらいにしか帰ることができなかったのですが、自分の家族が付き添い母親を支えてくれました。自分としては最後を看取れなかったことがものすごく悔しかったですね。葬儀の段取りやさまざまな事務処理は、カルディア様同様業務の延長として自分がすべて行い、すべての手続きがひとヤマ超えた時には忌引き休暇の一週間が終わっていました。息子にとって父親がどれだけ大きな存在だったかは、その後の一年でいやというほど味わいました。でも、不思議なもので一年たつとどうにかマイナスの感情が薄れていったことを覚えています。やはり、一年はどうしても心にひきずるものがあるので、無理に感情を抑え込まず、悲しい時は悲しみに身を任せるというのが一番よい対処法だと思います。
by opas10 (2011-03-20 17:38) 

カルディア

opas10さん>
コメントありがとうございます。

父が亡くなってからもう1ヶ月経つんだなと、
このひと月があっという間に過ぎ去った感じがします。

葬儀からしばらくは考え込まないようにしていたものの、
父親とのメールのやり取りが残っていて、
それをふと振り返って見てしまうと、
もうそういうことも一生できないんだと、寂しさが襲ってきます。

私よりも長く一緒にいた母のほうが辛いと思うので、
母が元気になるまでは自分は気持ちを抑えておきたいなと思っています。

by カルディア (2011-03-22 01:05) 

NO NAME

カルディアさん
はじめまして。
昨年、お父様をなくされたのですね。

私も昨年7月に母を、今年の4月、父をなくしました。
母は長患いしていましたので覚悟していましたが、
父は病気が判明してからわずか3週間で旅立ちました。

親を相次いで失ったことと、私は一人っ子のため、疲れ果ててしまいました。

そんなときにカルディアさんの記事を拝見させていただきました。

カルディアさんのお父様のご冥福をお祈りいたします。



by NO NAME (2012-06-23 20:20) 

カルディア

NO NAMEさん>
はじめまして。コメントありがとうございます。

自分は父1人でも大変だったため、
1年内でご両親とも亡くされた辛さは想像を超えるところです。
しかも一人っ子となると精神的にもかなり滅入ったのではないかと思われます。
私よりも随分頑張られ、ご苦労されたことでしょう。

このたびはご丁寧なお言葉、誠にありがとうございます。
ご両親のご冥福をお祈り申し上げます。

by カルディア (2012-06-24 03:05) 

なお

お父さんまだ59才でした。
がんで抗ガン剤治療していました。
2〜3週間前の話です。
お母さんから電話が来て、後1時間くらいと言われた時には、とてもびっくりしました。
具合が悪くて前日、入院したらしく、翌日、脳出血を起こし、他界してしまいました。
24才の女で、就職もしておらず、心配ばかりかけ、何一つ親孝行してあげる事が出来ませんでした。
こんなにも早く、父親を亡くしてしまうとは、、、
後悔だらけです。
とても寂しいです。悲しいです。
by なお (2016-05-11 03:09) 

カルディア

なおさん>
はじめまして。コメントありがとうございます。

親からしてみれば成人を迎えてくれただけでも親孝行になると思いますよ。自分も後悔はありますがその分をできうる限り母へ注いでいこうと思っています。
by カルディア (2016-05-12 03:02) 

ライト

 カルディア様、はじめまして。ライトです。
 
 私の場合、こういうような番組などを好きな方にとっては別の意味で関連があり、直接、漫画・アニメなどの仕事に携わることもあります。近年は幻の原画の発見などもしております。原画展・企画展などに携わることもあります。製作者側というより守る・保存する側ですが。
 
 私は今、同じ状況にあります。父が亡くなったばかりですーまだ数日たったのみ。お通夜、告別式などはとても立て込んでいたため、これからです。今は遺体の保存技術も進み、一週間以上とかでも全然大丈夫のようです。
 
 死を看取るというのも逆にとても辛いものがありました。父は複合的ながんで6つ以上ものがんに侵され、いずれも進行がんで致命的な癌は肺など含め、幾つもあり、最後の脳転移が決定的でした。
 
 父はそんな状況にありながら、9月中旬までは杖を使いながらも、普通に食事も会話もできていました。これまでも何度も余命宣告されてきましたが、その度に克服し、何度も癌が消滅したこともありました。最初は首が破裂しそうなくらい膨れ上がった癌で難しいと言われていましたが、完全にそれは克服しましたーもう10年近く前の事です。
 
 肺も結構深くやられていましたが、その度に乗り越えてきました。そのがんでこんなに長く生きた人はいないと思われるほど。これも2年以上生きた人はほとんどいない病気でしたが、2年以上生きていました。
 
 そんな幾つも深刻な癌を抱えていた父だから、担当の先生が何人もついていました。特に最後の脳は致命的で、ほぼ全体に広がる状況でどうにもなりませんでした。
 
 早ければ1週間ほどでもう亡くなるだろうと主治医にも言われていましたが、それでも1週間経っても、多少認知症が入りつつも、会話は成立する状態でした。
 
 残り少ない父のために家族みなで順番にローテーションで見守りました。その頃にはもう自分で起き上がることさえできなくなっていましたが、ベッドの上げ下げで起してあげたりもしました。時には車椅子に乗り移動してあげることも。
 
 看護師さんらも本当によく父の世話をしてくれました。感謝しかかりません。お医者さんはもう手の打ちようがなかったので見守ることしかできませんでしたが。
 
 もう家には帰れないと言われていましたので、できる限りのことを。この病気で1ヵ月以上その病院で生きた人はいないと主治医からも言われていましたが(日本でも屈指の専門病院です)、父は1ヵ月以上息抜き、しかも亡くなる1,2日前まで完全に寝たきりにはならず、会話もできて、飲み物も飲める状態でした。
 
 そのため、病院のお医者さんや看護師さんらも驚愕していたくらいです。言葉もしゃべれなくなってしまう人もいるので。驚くほどそこまでの苦しみはなく、穏やかでした。足がマヒして痛みがあったくらいです。
 
 最後に私が話すことができたのは私が泊まり込んだ木曜ー金曜日で、手もふってくれていました。帰りぎわに。様態の急変を知ったのは土曜日深夜で急いで病院に行き、その時にはもう酸素マスク付けていました。
 
 そこからは時間の問題でした。まだ目を開いたり、かすかにうなずいたり、手に力を入れることもできていました。長い夜が明け、日曜日も酸素や脈数が次第に上下するようになり、90-80-70-60-50と次第に少なくなっていきました(とてつもなく焦りました)。
 
 血圧が40あるかないかの時点で相当危ないのではと思いましたが。後は本当にもう見ていられない状態でした。酸素がなくなり始めてからは苦しくて。それでもできる限りのことはしていました。
 
 そしてそのまま亡くなりました。母も兄弟らも疲弊しきっていました。考えるまでもなく、呼吸停止した時点で「延命措置」をするかどうかの判断を迫られましたが、父が生前拒否していたのと、そうしたところで重い病をいくつも抱える父ではまた苦しむだけということもあり、そのまま亡くなりました。

父は最後までがんばってがんばって生き抜きました。後期高齢者にもうじきという年齢でした。
 
 その後は長く入院していたものの、2時間足らずですぐに病院を出なくてはならず、何の準備もしていなかったこともあり、また遺体のお化粧直しも丁寧にしてくれたため、1時間ぐらいでせわしく代える準備を整え、母だけ父の遺体の乗った車と同乗させてもらい、わたし達は別の車でそれぞれ帰りました(こういうことは誰も教えてはくれないので知っていた方が良いですーすぐに病院でなくてはということも)。
 
 その後は時折悲しい気持ちになりつつも、父の友人や会社関連の人たち、その兄弟らの連絡、葬式などの準備打ち合わせ、ほかいろいろ大変でした。父もそれなりの地位も、研究者としての実績もあり、新聞記事に出たり、表彰されたりもしていたにもかかわらず、面倒見の良い人で慕われていましたので世話になった人も多く、リストアップも大変でした。
 
 「日曜日にまた来るから」と伝えていたので、日曜日までもってくれたのかなとかいろいろ考えてしまいます。遺体を見ながら、「やっと大好きな家に帰れたね」「苦しみから解放されたね」「本当にがんばったね」と。
 
 まだだからなのか、今日の夜、ふいに父が夢に出てきました。悪い足を杖で支えながら階段をのぼって。ちょっと兄・妹らが父の事でけんかをやらかしていたので心配で私の所に来たようです。その様子を聞きに来ました。ほか少し話しましたが、途中まで見送ると、また来ると言っていましたが、また来てほしい気持ちと、安らかに眠って欲しい気持ちと今は複雑です。
 
 今は言い表せない気持ちです。いつも父がいるものだと思っていました。父母と最後まで長くいたのも私でしたので、この気持ちはしばらく続きそうです。やってあげたいことは本当に山ほどありましたが。
by ライト (2016-10-27 18:55) 

カルディア

ライトさん>
こんばんは。コメントありがとうございます。
この度は誠にご愁傷さまでございます。
余命宣告されながらも克服されてきたお父様のお姿は、同じように苦しむ方々への励みになったと思われます。それから10年ほど生きてこられたのは凄いことだなと。
最期を見届けてあげられたことでお父様も安心できたと思われます。
自分は最期を見届けられなかったこともあって、また実家に戻れば父がいるのではないかという錯覚にしばしとらわれていました。ただそれも時間が経つにつれて薄らいでいったなと。
しばらくはお辛いでしょうが、ゆっくりと時間をかけて気持ちの整理をなさってください。
by カルディア (2016-10-29 01:48) 

ライト

 カルディア様、お返事ありがとうございます。ライトです。
 
 父は何度も入退院して10年近く同じ病院に通っていたので、同じく患者さんたちからもよくお話をせがまれたようです。父もしゃべるのは好きな方でしたから、がんが多方面にあるのを笑いにしていましたーこんな状態でも生きていると。
 
 「いつ死ぬのか、いつ死ぬのか」と思いながらも「生きていると」。その一方で生きるのにも必死で自分でいろいろ調べたりしてはお医者さんに無理難題もしていましたが、それがあって生きながらえていました。

 父の闘病生活の中で、それに少しでも希望を抱かれる患者さんがいたのならそれはそれで嬉しいです。と同時に、時間は大切にしてくださいと。
 
 病院に寝泊りをして、父も1人の時は病院で寂しかったのだなと気づいたりして、それでも最後に父の温かみを感じられて感謝しています。
 
 葬儀は参列者の方が前にこられるのに時間がかかるので1人1人ではなく、数名ずつ前に来られました。会社の危機を救ったほどのことををしていたので多くの会社の方も来られました。
 
 泣いておられる方も多く、慕われていたのだなと改めて実感しました。大きな賞もいただいたこともあるので、改めて凄さも実感しました。そういうことは一切そぶりを見せない父でしたので。火葬の際にも思っていた以上に人が来ました。そこまで見届けたいという人が多かったのは父の仁徳かもしれません。
 
 最期を看取れなかったというのもまた逆に責任感じてしまうこともありますね(数値が一時安定してきたこともあり、実は当日も病院に行くか迷っていたので、同じように可能性もありました。ただ、何か勘が働き、いかなくてはまずいと何日も泊まり込み覚悟で深夜病院に向かいました)。
 
 実家に戻れば父がいるかもしれないという錯覚は私にもまだあります。時折庭のベンチを見てあそこに座っているかも、とかまた夜中に何度もトイレに行くなとか思ったりもします。
 
 時間が経てば薄れるのかもしれませんね。それも寂しいですが。
 
 ゆっくりしたいのですが、ゆっくりできない事情もあり、公式に発表されている企画展・原画展、もろもろの打ち合わせなどもあり、私が出なくてはならないものもあるので、なかなか整理までは気が回りません。
 
 忙しい方のが気が紛れますが、時折無性に物悲しくなり、めったになくことのない私がふと泣いたりもしてしまいます(1年にほとんど泣かないということも多かったのですが)。

 病院で父から伝えられた託された想いもあるので(結構というか随分無茶なとてつもない大きなことでしたので、目いっぱいがんばらないとという想いも強いですが)、まだまだがんばらなくてはな、という想いでいっぱいです。
 
 私もいつもあるものだと思っていました。やってあげたいことも、かなえてあげたいこともまだ多くありました。心残りがないという方の方が少ないと思いますーよほど嫌ったり、疎遠になっていなければ。たとえ、仲が悪かったとしてもいい思い出はふいに甦り、亡くなってはじめて気づくこともあります。

 いつかはみなにも来ますから、来ないというのは自分が先に亡くなってしまうことを意味するので、悔いの残らぬ日常を、とみなには思いますね。何気ない日常の中ではなかなか気づけませんが。
by ライト (2016-11-06 23:16) 

カルディア

ライトさん>
こんばんは。再コメントありがとうございます。
お父様から何かを託されるというのは素晴らしいことですね。それだけお父様が築き上げてきたものが大きかったからだと思えますし、ライトさんが引き継ぐに足るだけの実力があったのだと思われます。
それを成すことでお父様にしてあげられなかったことを形を変えて返せていけるようにも思えますので、大変かと思われますが引き継がれたお務めを悔いの残らぬよう成し遂げてください。
by カルディア (2016-11-12 02:04) 

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